キーボーディストであり、主に米米CLUBのメンバーとして知られているジュリアーノ勝俣さん。
ジュリアーノ勝俣さんは筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、闘病生活を送っていましたが、2024年11月29日に死去したことが報じられました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
ジュリアーノ勝俣さんの詳しい経歴や死因についてなどを調べていきたいと思います。
ジュリアーノ勝俣死去報道
元米米CLUBのメンバーのジュリアーノ勝又さん(本名:勝又隆一)、が亡くなったことが報じられました。
彼の死去は、米米CLUBのボーカルである石井竜也さん(65)によって28日に自身のX(旧ツイッター)で発表されました。
勝又隆一さんの訃報が入りました。
ジュリアーノ勝又として米米CLUBの頃から一緒にやってきて、
97年に米米を解散してからも、初期の頃を支えてくれたアレンジャーで、
もう一度、勝又さん一緒に仕事をしたい!と、ずっと願っていました。— 石井竜也&米米CLUBスタッフ (@tatuyaishii_st) November 28, 2024
石井さんは、勝又さんが「眉間に皺なんて見たことないくらい、いつもニコニコされている方」であり、彼との思い出を振り返りながら追悼の意を表しました。
特に、勝又さんが音楽に与えた影響やその温かい人柄について言及し、「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と述べました。
ジュリアーノ勝又さんは1995年に米米CLUBに加入し、97年の解散まで活動していました。
彼は昨年10月に指定難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を公表し、その後も闘病生活を送りながら音楽活動を続けていましたが、今年5月には病状が進行し介護施設に入所することを報告していました。
9月には「毎日なんとか明るめに生活できております」と最後の投稿をしていました。
難病と闘っていたんだね
ジュリアーノ勝俣の死因はALS
ジュリアーノ勝俣さんは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で闘病していました。
彼は1年間の闘病生活を経て、介護施設で亡くなったことが報じられています。
ALSは進行性の神経変性疾患であり、筋力の低下や呼吸困難を引き起こすことで知られています。
彼の死は、ALSによるものであり、闘病生活は約1年間続いていました。
元米米CLUBのメンバーである彼は、音楽界での影響力を持ち、多くのファンに愛されていました。
最期は介護施設で生活していたんだね
ジュリアーノ勝俣の闘病生活
ジュリアーノ勝又さんは、元米米CLUBのメンバーであり、音楽家としてのキャリアを持ちながら、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病と闘っていました。
さあ〜残念なお知らせがあります😒なんと超難病となりました🥹
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
約1年前から滑舌が悪くなり全身の筋肉もどんどん衰えており、4月位から10回以上転び、信じられません😠が、原因も分からず難しい病気でもあり毎日は衰えないよう超頑張っておりました💪😉が、だいぶ症状が進んでしまい10/12から入院して、まず病気の勉強❗️治療‼️リハビリ⭐️を約10日間、試すこととなりました😌
昨夜は病気をお伝えした方々にお誘い頂き、この病気に役立つよ‼️⭐️と超美味しいお料理❗️を頂きました‼️😋
その後、長年僕が頑張ってきたプレイを聴きたい‼️とおっしゃって頂き⭐️こちらのお店で演奏させて頂きました✨🎶🎹演奏も頑張ってきましたが指の力も超落ちましたがそれなりに弾けるよう超研究しております‼️💪😉
まだまだこれからも頑張って生きて行きま〜す❗️🤣よし‼️💪😤
彼は2023年10月に自身のInstagramでALSを公表し、その後約1年間にわたる闘病生活を送りました。
ALSは神経系の進行性疾患で、運動神経が徐々に機能を失い、最終的には身体が動かせなくなる病気です。
ジュリアーノさんは、病気の公表後も音楽活動を続け、2024年5月には介護施設に入所しながらも「毎日なんとか明るめに生活できております」とファンに伝えていました。
しかし、病状は悪化し、最終的には2024年11月25日に58歳で亡くなりました。
彼の闘病生活は非常に厳しいものでしたが、音楽への愛情を失わず、音楽機材を整えた部屋での写真を共有し、「もう弾けなくなりましたが音楽を聴きながら頭では演奏出来ております」と語り、音楽への情熱を示し続けました。
彼の死去は多くのファンや音楽仲間に衝撃を与え、追悼の声が寄せられました。
元米米CLUBのボーカルである石井竜也さんは、「勝又さんが紡ぐ音楽には、その温かい人柄が表れていました」とコメントし、彼との再会を願っていたことを明かしました。
ジュリアーノ勝又さんの闘病生活や音楽活動を記録した画像は、彼の遺産として今後も多くの人々に影響を与えることでしょう。彼の音楽とその精神は、今後も多くの人々の心に生き続けることでしょう。
最後まで音楽に情熱を注いでいたんだね
ジュリアーノ勝俣プロフィール
ジュリアーノ勝又(本名:勝又隆一)さんは、1961年2月7日生まれの日本のキーボーディストであり、主に米米CLUBのメンバーとして知られています。
彼は東京都出身で、音楽キャリアの中で多くのアーティストと共演し、特にイルカや米米CLUBなどのバンドでキーボードを担当しました。
彼は「ジュリアーノ」という名前でも知られ、音楽活動を通じて多くのファンに愛されてきました。
勝又さんは、音楽だけでなく、パフォーマンスやエンターテインメントにも力を入れており、米米CLUBのライブでは独自のスタイルを確立しました。
2024年11月には彼が逝去したとの報道があり、多くのファンがその早すぎる死を悼んでいます。
彼の音楽と作品は今もなお、多くの人々に影響を与え続けています。
ジュリアーノ勝俣に関する世間の声
勝又さんがサポートメンバーとして参加されてるライブに何度か行ったことがあります。
いつもニコニコ、控えめですが楽しそうに演奏されてたのを思い出します。
数年前に、米米のコピーバンドに参加されてたのを動画で見ました。
ご本人がコピーバンドに参加してる!って驚きました。
まさかそんな病気になられていたとは気づかず・・・素敵な演奏をありがとうございました。
20世紀後半から活躍しているミュージシャンでも亡くなる人も多くなっている中でこれまで米米は後期加入メンバー含めみんなお元気だったのが、ついにこういう時期が来てしまったのかと思うととても寂しいです。
ジュリアーノ勝又さんを解散ライブのDVDラストシンポジウムで見ました。
米米CLUBは大所帯なので後ろのメンバー数がスゴかった(脱退したメンバーも途中参加したりで)。
ライブ終盤に楽曲「JUST U」で石井さんがメンバー紹介する時にジュリアーノ勝又さんの名を呼ばれてたことを覚えてます。ご本人はニコニコ微笑んでました。
ご冥福を祈ります。
ALSは日々出来る事が失われていく恐い病です。
職場の上司が発症して経過を見ていたので実感してました。
新しい治療法が出てきてはいますが未だに決定的な物はありません。
自分も治療の難しい病気の1つである骨髄異形成症候群という血液ガンの一種を持つ身なので医療の進歩に期待はしますがなかなか思ったようには進んでいないと感じています………
さい帯血による造血幹細胞移植と多くの輸血で生き長らえさせてもらってます。
善意と勇気の塊である骨髄/さい帯血バンクへのご協力、そして献血へのご協力に本当に感謝しています。
石井さん、つい先日地元のローカル番組でお元気な姿を見かけました。
全国放送のロケの一環だったそうです。 相変わらずの美声でした!
放送日を楽しみにしています。
音楽はファンの心に残っているんだね
コメント